「すべての言葉はきらめいている」。テキストだけでは伝わりきらないその手ざわりを届けるため、私は言葉と物質を結びつける造形表現を探求している。
私は幼少期、言語の習得に時間を要した。文字や音声が意味を伴って世界を形作り始めたのは、9歳の頃だったと記憶している。それまで記号でしかなかった言葉のひとつひとつに、膨大な意味や願いが込められていると知った時の衝撃は、今も私の表現の根底にある。
なかでも人の「名前」には、たった数文字の中に「健やかであれ」「豊かであれ」という一冊の本に匹敵する物語が宿っている。そのきらめきに触れるうち、私にとって名付けとは最小単位の「詩」を綴ることと同義となった。短い名前が物語であるならば、詩とはすなわち「長い名前」ではないか。
だから私は、平面作品や拾い上げた石に、名前としての詩を与える。言葉と物質を結びつけるその行為は、言葉に手触りを、物質に物語を与える儀式に近い。私は慈しみを込めて、彼らを「ともだち」と呼ぶ。
そうして生を受けた「ともだち」たちが集う展示では、しばしば「天使」という言葉が現れる。
私が名付ける「天使」は、決して空から舞い降りる超越的な存在ではない。
それは、私たちが内側に宿している他者への「優しさ」の象徴として現れる。優しさを保ち続けることは、決して容易ではない。自らの痛みや苦しみに耐えながら、それでもなお、心の余裕を保つための切実な努力を続ける必要がある。
「あなたの中の天使を続けて」――あなたが優しくあろうと努めるその瞬間、それは隣人へ「生きていていい」と告げる、存在肯定のメッセージとなる。そして、他者を肯定することが「優しさ」であるならば、優しくあろうとする選択は、自分自身を許し、勇気づけることでもある。
展示に並ぶ「ともだち」たちが、あなたの中にある天使にそっと語りかけ、誰かに、そして自分自身に「生きていていい」と伝えるお守りのような存在となることを願っている。